9月13日に英国の夏の風物詩であるクラシック音楽の祭典プロムス(PROMS) がその最終日を迎えた。Prom とは “Promenade Concert” の略であり,「遊歩音楽会」 という意味だそうだ。プロムスは1895年に開催されて以来,今年で109回目を迎えた歴史あるクラシック・コンサートシリーズであり,7月18日の初日から約2ヶ月に渡って73のプログラムが組まれ,有名な指揮者や演奏家のステージが行われた。ロンドンのケンジントンにあるロイヤル・アルバートホールで開催されるにもかかわらず,低価格で高品質のクラシック音楽を楽しんでもらおうという意図で,クラシックコンサートとしては破格の入場料が設定されており,しかもかしこまった服装で入場する習慣もない。したがって,普段着で気軽に参加できるようになっている。プロムスとは,「そぞろ歩き」(プロムナード)で来れるように,という意味なのだろう(私の類推なので間違っているかもしれない)。たとえば,初日の入場料は£7~£32.50 であり,最終日のそれは£20~£75であった。初日はなんと1400円くらいでも入場できたことになる。

英国に来るまで,私はこのコンサートのことは知らなかったが,たまたま初日のコンサートの模様をBBC テレビで見てプロムスに興味をもった。初日は,中国の若手ピアニスト Lang Lang (朗朗) によるチャイコフスキーのピアノ協奏曲1番変ロ短調の演奏だった(指揮は Leonard Slatkin )。私はクラシックに関する知識をほとんどもっていないのだが,この演奏はとにかくすばらしかった。Lang Lang のエネルギーとテクニックと熱気が素人の私にも伝わってきた。

その後,ときどき BBC で放送されるプロムスは見逃さないようにしていた。残念ながら,実際にコンサートを見に行くことはできなかったが,9月上旬にケンブリッジで開かれた国際会議に参加された私の大学時代の恩師は,ケンブリッジに入る前日にロンドンに宿泊され,ご夫人とともにプロムスを見に行かれたそうだ。25年くらい前に英国に滞在されていたので,その当時からプロムスのことをよくご存知だったようだ。

プロムス最終日の盛り上がりはすごい,という話を聞いていたので,最終日のテレビ中継を楽しみにしていた。その日は,夜7時45分から11時まで,BBC で完全生中継をした。その日はロイヤル・アルバートホールだけでなく,ロンドンのハイドパーク,ウェールズのスワンジー,スコットランドのグラスゴー,そして北アイルランドのベルファストでも,特設ステージが設けられ,巨大な野外スクリーンにプロムスの様子が映し出されていた。テレビ中継でも,各地の様子を随所で紹介していた。

せっかくだから,最終日のプログラムを列挙しておこう。
 Berlioz(ベルリオーズ):Overture ‘Roman Carnival’
 Saint-Saens(サンサーンス):Introduction and Rondo capriccioso
 Faure:Pavane
 Joseph Phibbs:new work  BBC commission: world premiere
 Catalani:La Wally – ‘Ebben? Ne andro lontana’
 Gounod(グノー):Faust – ‘O Dieu! Que de bijoux!’ (Jewel Song) :
 「ファウスト」から「ジュエル・ソング」
 Leoncavallo:Pagliacci – ‘Stridono lassu’
 — 休憩 —
 Vaughan Williams:The Wasps – Overture
 Borodin:Prince Igor – Polovtsian Dances
 Massenet:Thais – Meditation
 Bizet:Carmen – ‘L’amour est un oiseau rebelle’ (Habanera) :
 「ビゼーのカルメン」より「ハバネラ」
 Teodor Grigoriu:Valurile Dun arri – ‘Muzica’
 Elgar(エルガー):Pomp and Circumstance March no.1 :「エルガー」の「威風堂々」
 Wood & Grainger arr. John Wilson:Fantasia on British Sea-Songs
 Parry, orch. Elgar:Jerusalem
 The National Anthem :英国国歌
 Trad.:Auld Lang Syne :「蛍の光」

  Leila Josefowicz :ヴァイオリン
  Angela Gheorghiu :ソプラノ ← オペラ界で大人気のソプラノ歌手アンジェラ・ゲオルギュー
Leonard Slatkin :指揮 ← この日の指揮から司会進行までをすべて仕切っていた。
軽快でユーモア溢れる指揮は,とても楽しかった。

特に,英国が誇る作曲家であるエルガーの行進曲「威風堂々」では,観客が総立ちになって,ユニオンジャック(英国の国旗),イングランドの国旗,ウェールズの国旗,スコットランドの国旗,北アイルランドの国旗などを振りながら大合唱していた。その様子は圧巻だった。まるで,ロックコンサートを見ているようで,メロディーにあわせて体を上下させたり,腕を組んで体を左右に動かしたり,その振り付けまで決まっていることに驚いた。威風堂々は英国の第2の国歌とも呼ばれているそうだ。子供たちにこの光景をぜひ見せておきたかったので,彼らを夜11時までテレビ中継につき合わせてしまった。しかしながら,10歳の長男は食い入るように画面を見ていたし,威風堂々では兄妹で一緒になって踊っていた。

演奏の最後は,本当の英国国歌であり,その曲が終わると,指揮者である Leonard Slatkin は退場していった。指揮者がいない会場では,最後に観客だけによる「蛍の光」の合唱が始まり,その曲とともに今年のプロムスは幕を閉じた。そして,テレビ中継では各地からの中継を順番に映し出していた。これは何かに似ているな,と思った。そうだ,大晦日の「紅白歌合戦」と「行く年来る年」,あるいは日本テレビの「24時間テレビ」のエンディングと同じじゃないか。

英国民にとっては,プロムスが終わると楽しかった夏が終わってしまうという,季節感をもつ重要な行事なのだろう。以前,今年の夏はとても暑かったと書いたが,温帯性というよりはむしろ亜熱帯性気候である日本からやって来たわれわれにとっては,英国の今年の暑さは大したことはなかった。それよりも,ほとんど毎日が快晴で,雨が降らない天候にあたり,とてもラッキーだったと思っている。隣家の英国人の話では,昨年の夏は雨ばかりでうんざりしたが,今年の夏は非常に天気がよくfantastic だと言っていた。プロムスの最終日も,大快晴で(こんな日本語はないが),本当に気持ちのよい一日だった。

国民が一緒になって歌うことのできる威風堂々や英国国歌があってうらやましい。日本では,国歌や国旗というと,複雑な議論が付随して起こり,面倒くさいことになってしまう。ましてや,「愛国心」(patriotism : 受験生のときお世話になった「でる単」では,この単語はかなり上位にランクされていた記憶がある)などというと,戦争のことを連想してしまい,多数の人がその話題に触れることを避けている。でも,本当の意味の愛国心が必要なのではないかな,みんなが歌うことのできる元気の出る(国)歌が必要なのではないかなと,最近の日本を見ているとつくづく思う。

東京六大学野球を例にとると,慶応では「若き血」,早稲田では「紺碧の空」,東大では「ただ一つ」など,学生たちは神宮球場で母校を応援する歌を仲間とともに歌う。最近では学生の気質も変わってきたので,以前のように早慶戦でも満員にはならないようだが,私は神宮球場の慶早戦(これは慶応だけでしか通用しない言い方だが)で若き血を歌えたことを非常によかったと思っている。応援歌を通して愛校心が養われてきたような気がする。しかしながら,多くの大学では,学生が自分の学校の校歌を歌うのは,入学式と卒業式だけではなかろうか。

昨年,サッカー(英国では football というが)のワールドカップが日韓共同開催され,多くの日本国民が代表チームを応援していた。よい意味での愛国心が芽生えるよい機会だったと思う。野球でもよいのだが(長嶋ジャパンにはがんばってほしいが),アメリカと一部のアジアの国でしか行っていないスポーツではどうしようもない。これは,英国のクリケットに状況が似ている。クリケットは旧英国の植民地でしか行われていないようだ。

ワールドカップで日本チームを応援する歌がほしい。これだけカラオケの好きな人が多い国なのだから,よい歌があればみんなで歌うだろう。赤い鳥の「翼をください」ではちょっと違うような気がする。もちろん国歌でなくてもよい。エルガーの威風堂々にように,日本国民が元気にみんなで歌えるような曲はないのだろうか?