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工学 engineering と技術 technology, art が,異なる概念であることは論を待たない。たとえば自動車技術会の査読論文は,工学的独創性と技術的独創性が分けて評価され,前者が優位なら研究論文,後者なら技術論文と区分けされる。
技術のギリシャ語源は ,そのラテン語訳が ars であり, 人工物 artifact を作る手並みを言うが,工学は成立の歴史が浅く,定義も難解である。ここでは工学 engineering を組織的,計画的に目的を達成する行為と考える。”Adolf Hitler engineered the Holocaust.” なる文例や,大型プラントの建設を請け負うのはエンジニアリング会社であって,建築”テクノロジ”会社ではないことからも納得されよう。
しかし,日本語では工学と技術が混用されることが多い。工学部 Faculty of Engineering の卒業生を工学者と呼ばずに技術者と言うが,反対に技術者を和英辞典で引くと engineers とあり,technologists や technical experts ではない。
慶應義塾大学の理工学部の英語呼称は Faculty of Science and Technology で,早稲田大学のそれは Faculty of Science and Engineering である。部外者には理由が分からない。
福島原発事故で,電源を喪失しメルトダウンに至ったのは,日本のエンジニアリング力の不足であって、マスメディアの多くが指摘したような原子力技術の欠如ではなかったと思う。事故後に多くの専門家がテレビに出演し,実に理にかなった故障メカニズムの解説をしていたところを見ると技術はあったのだろう。仮に日本に技術が無くてもエンジニアリング力さえあれば,広く海外の技術を活用できたはずである。良く知られているようにボーイング社は,樹脂製主翼やジェットエンジンなどのハイテク部品を調達し B787 を製造している。
DRAM:Dynamic Random Access Memory を中核とした、日本の半導体産業が衰退した原因として、税制や労働関連法などの国の制度設計や、投資判断の遅れなどの経営の問題が指摘される(たとえば、2014年1月5日の日経朝刊11面)。いずれも、半導体プロセスでは負けてないとする点で共通である。しかし、日本のメーカが健在であったときの、64 メガ DRAM のフォトマスク(プレス加工の金型に相当)の枚数は、ライバルの 1.5~2 倍もあった(下図)。世界トップレベルのプロセス要素技術がありながら、市場の要求品質に合わせた工程設計のエンジニアリング能力が不足していたのである。
工学と技術の定義を精査しても腹の足しにはならないが,たまには考えてみる価値があろう。というのも,日本語には「てにをは」という万能接着剤があり,「僕はカレーだ」などの文法を超越した表現もできる。それだけに部品である単語がいい加減だと、思考も主張も曖昧になり易い―閑話休題―
今は昔,日米貿易摩擦問題が沸騰していた時に,アメリカから日本の技術ただ乗り論が提起された。その流れで日本は産業強化のための工学教育ばかりやって,理学部の数が少な過ぎると文句を言われた。しかしこれは案外簡単に収束した。「工学部の教育内容をアメリカ側に説明したら,これは工学じゃない,理学だよと矛を収めてくれた」と故岡村總吾東大名誉教授が,日本工学アカデミーの会合で苦笑いされながらお話しされた姿を,今でも思い出す。
金融工学 financial engineering や経営工学 management engineering などで知られるように工学は本来,科学技術だけでなく,人文社会学も包含した学問体系であるが、日本の多くの工学部では科学技術中心の教育をしている。
日本がグローバル競争に打ち勝つためには,テクノロジとエンジニアリングの両輪が必要であるが,少々バランスを欠いてないか。前者は科学技術創造立国のスローガンのもとに多額の国家予算が注ぎ込まれている。しかし、Systems Engineering 能力が脆弱で、これを強化しないと真の立国につながらないのではないか。オープンイノベーションシーンでは、科学技術はエンジニアリングに隷属する傾向があり、技術の○○でなく、エンジニアリングの○○が主役になる
年頭にあたり、エンジニアリング創造立国論が日本で巻き起こることを期待したい。