廣田幸嗣氏からエッセイ[20] を送っていただきました。
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A 学院大学から案内があり,5月10日に K 氏の博士論文公聴会に参加した。K 氏は人体通信 BAN Body Area Networks の日本でのパイオニアの一人である。期待されながら停滞気味な BAN を再考するきっかけとなった。
LANケーブルのような電線や,光ファイバーのような誘電体線路に沿って電磁波を伝搬させる方式が,有線通信である。自由空間に電磁波をばらまいて伝搬させるのが無線通信である。
人体通信は,文字通り人体周辺の数 ㎝ 以内のエリアに限定された近接場を用いた局所通信で,有線と無線の中間の技術である。これには,電極を人体に接触させて電流を流して通信する電流(低インピーダンス場)型と,人体に電位を与えて通信する電界(高インピーダンス場)型がある。近年は非接触の後者が優位にある。
人体通信は, 1995 年に当時 MIT の学生であった Zimmerman が,ウェアラブルコンピュータ間の通信のための WPAN Wireless Personal Area Networks の近接通信版として提案したものである。握手すると名刺交換が自動的にできるといった程度の幼稚なアプリしかなくキラーアプリ不在がその後の低空飛行を招いた原因とする解説記事が多い。しかし K 氏によると,人体通信にはまだ技術的に大きな問題があり,これがアプリ開発の障害になっていたと言う。
人体にもウェアラブル機器にもアース線を取り付けられないので,人体通信機は非接地,つまり電位的にフローティング状態になる。しかし多くの開発者は接地型の通信機として開発し,アース環境のあるベンチ実験で「できた」と騒いでマスメディアが取り上げるが,実際に人体に装着すると通信が不安定というのが,これまでの多くの人体通信であったようだ。K 氏は非接地の状態で動作する実用的な通信装置の設計手法も提案しており,この点は高く評価できる。
BAN の B (Body) でなく,自動車のボディと解釈すると面白い応用も考えられそうである。
無線通信を車室内でやると金属ボディの多重反射や,人体や持込み物の影響,あるいは外来電波の影響などで伝達特性の予測が困難である。電界型人体通信では,静電結合モデルで十分に近似でき,回路シミュレータの SPICE で設計ができる。これは強みである。
数 ㎝ 以内の超近傍通信なので,着座や指のタッチ,足で踏むなどの状態でないと,人体と車載エレクトロニクス機器間の通信ができないが,逆にセキュリティでは有利とも考えられる。ソフトレイヤではなくハードレイヤで通信を遮断するのが,セキュリティの上で一番確実だからである。ビットレートが数百ビット/秒程度と低いので,適したアプリを考える必要がある。
今は昔 1990 年代にボストンのあるレストランで MIT の先生方に「自動車は将来ウェアラブルコンピュータになる」と法螺を吹いていたら,たまたまテーブルの傍らを通りかかった人工知能の父,ミンスキー教授が会話に割り込んできて「そんなこと,俺は昔から言っておる」とまくし立てられた。フィッシングベストを着用してギョロ目で睨む先生のお姿は,いまも大脳の記憶層に残っている。いつかクルマで HM-Integration が実現することを期待したい。