GWに入り初夏の陽気になりましたが,日吉キャンパスは人影も少なく穏やかな風景です。久しぶりに,廣田幸嗣氏からエッセイが届きました。
廣田氏とは「バッテリマネイジメント工学~電池の仕組みから状態推定まで~」を共同編集しました。
1970年頃からエンジニア生活を始めて,半世紀近くになる。この間,技術の流れ方が大きく変化していたことを目の当たりにできた。
その一つは軍需産業から民需産業へのいわゆる Spin-off の流れが,民需産業から軍需産業への Spin-on に逆転したこと,もう一つが整然とした Technology Transfer から,急速で無秩序な Diffusion of Technology への変貌である。
第二次大戦の成果であるレーダ技術とトランジスタ技術は,戦後に民間移転され,電子レンジや携帯ラジオ等を生んだ。これにより民需産業が栄え R&D も活性化され,1980年頃からはハイテク技術が逆流するようになる。その典型が8ビットマイコンで,ゲーム機で使われた後に F16戦闘機で実戦配備された。
20世紀の移動用大容量電池は,ジェミニやアポロなどの宇宙機器に搭載された燃料電池であった。20世紀末頃に,ダイムラーが燃料電池車を試作し,家電メーカは携帯機器用の小型燃料電池を開発した。
しかし 1990年代に民需の携帯機器用に開発されたリチウムイオン電池が登場し Spin-on に激変する。GS ユアサの電池が B787 や世界宇宙センターに搭載されている。アポロ宇宙船は水素と酸素から水を作ったが,いまは水を電気分解して酸素を作る。技術の流れだけではなく化学反応も反転したようだ。家電メーカもダイムラーも燃料電池の R&D を減速または中止をする。
海上自衛隊のそうりゅう型潜水艦は,潜航中は液体酸素でエンジンを動かし鉛蓄電池を充電してモータを回していた駆動系を,リチウムイオン電池に変更した最新鋭艦艇である。混血ハイブリッドから純血ピュアブリッドになり,電池とモータはリーフと同じになった。
戦後の日本の電機産業は,アメリカ企業から技術移転を受けて急速に成長した。契約などで管理された技術の流れである。しかし 1980年頃から,技術移転と言う言葉が新聞紙上であまり見かけなくなる。技術拡散の戦国時代の到来である。
日本の家電メーカのハイテク技術だった半導体や液晶技術は,主に素材メーカや装置メーカによって韓国や台湾,中国に広がって行き,技術優位の戦略が瞬時に崩壊した。ノーベル賞を受賞した LED や,候補者がいるリチウムイオン電池も同じ運命を辿りそうである。
日本はアジアの中央研究所と言われるようになる。科学技術基本法等の予算で研究開発されたハイテク技術が,アジア諸国の産業活性化に使われる一方で,日本の雇用が減ってゆく流れがある。
もうすぐ古希を迎えエンジニア生活に一段落を付ける人生設計を描いているが,踏み込めずに立ち往生しそうな雰囲気もある。