廣田幸嗣氏(「バッテリマネイジメント工学」の共著者」)からエッセイを送っていただきました。
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電子屋さんは compatibility という技術用語をよく使う。電子回路が高周波ノイズで誤作動するのを回避する技術を EMC:Electro-Magnetic Compatibility と言い,日本語は電磁的「両立性」である。パソコンの USB コネクタやアプリケーションソフトで使われている upward/downward compatibility は,ご承知のように上位下位「互換性」と訳されている。
しかし両立性を和英辞典で引くと consistency,互換性は interchangeability であり,どちらにも compatibility が出てこない。逆向きの翻訳で異なる英単語が出てくるときは,日本語と英語の間に 1:1 onto でなく N:1 into の写像があり,翻訳が不完全で概念も曖昧になっている。
そこで compatibility を因数分解すると common × pati × ability で,「苦しみを共有できる能力」が原義であることが分かる。つまり何もしなければ両立も交換もできない者同士が,お互いに相手を慮ることで共存することである。NASA は狭い宇宙船で長期間暮らす飛行士に集団の調和的共存性 interpersonal compatibility の訓練をしている。そこで,拙いが私は compatibility を「調和的共存性」と訳している。
今日のグローバル社会・・・この文脈では global society ではなく international society というべきか・・・では,宗教や政治で深刻な対立が目立つ。宗教や政治には経典やイデオロギーと言う「正義の体系」があるので安易な妥協が出来ずに,対立がなかなか解けない。
戦後の日本では,四畳半の狭い部屋に大家族が仲良く暮らしていた。また,最近の大災害時の避難所でも,interpersonal compatibility を自然体で発揮しているシーンが多く見られ,世界中に感銘を与えた。
この日本人の行動様式を辿ると,聖徳太子の17条憲法の第一条:以和為貴,和を以って貴しと為す,に突き当たる。和を第二条の宗教(三宝)や第三条の政治(詔り)の上位に置いている。宗教や政治の絶対主義的な屁理屈よりも,相対主義の和の方が大事と言うことだ。
四捨五入すれば,和は調和的共存性と同じある。異なる宗教や政治体制には公約数(共通の理念)がないので,両立性を求めようとするのは困難である。和=調和的共存を共通理念にすれば,違いを克服できるかもしれない。
環境汚染よりも,宗教政治的な対立のほうが人類を滅亡に導く可能性が大きくなっている。持続可能社会 sustainable society の実現には,妥協社会 compatible society への布教活動が必須ではないか。
古稀を過ぎ,対立よりも調和を志向するにようになってきたようだ。若者達からは,悪しき相対主義者と嫌われているかもしれない。