小学校高学年のとき,お気に入りの雑誌は「模型とラジオ」だった。「初歩のラジオ」という似たような雑誌もあったが,私は「模型とラジオ」の方が好きだった。なかでも 「かまぼこ板シリーズ」が好きで,そこではかまぼこ板の上にラジオとか,電子ブザーとか,いろいろな電子工作をする記事が連載されていた。

いろいろなラジオ製作キットも通信販売されていたので,ゲルマニウムラジオとか,2石レフレックスラジオなどを,小学生のときに購入して製作していた。下手ながらも,ハンダ付けもした。当時(昭和40年代中ごろ),「電子ブロック」という画期的なおもちゃが発売され,それを両親に買ってもらってからは,電子ブロックを使っていろいろな電子回路を製作した。小学生のときに「インピーダンス」(「抵抗」の一般的な概念)などの計算法を勉強した。インピーダンスを理解するためには,複素数という高校での数学を使わないといけないが,インピーダンスの大きさだけを計算するだけであれば,ピタゴラスの定理を知っていれば小学生でも何とか計算できた。そのころから,将来は電気に関係する仕事に就きたいとぼんやりと思っていた。電子ブロック友の会にも入会し,その会報が郵送されてくるのを心待ちにしていた。2年前,計測自動制御学会という学会の会誌編集委員長を1年間担当したが,小学生のときから会報とか,会誌が大好きだった。また,いまから数年前,電子ブロックが復刻されたときにはうれしかった。実は,まだ購入していないが。

もともと数学(算数)が好きだったので,理科系に進むとは思っていたが,大学の3年生のときに電気工学科という学科を選んだのは,小学生のときのラジオ製作の体験が大きかったと思う。大学院を修了して総合電機メーカの研究所に就職し,その後,大学の電気電子工学科の教員になってしまった。好きなことが自分の仕事になり,幸せなことだと思っている。

いまの受験生は大学進学時の学部・学科をどのように決めているのだろうか。われわれの時代は「ラジオ=電気」,「自動車=機械」などという簡単な図式が成立していたが,いまほとんどの製品はブラックボックス化して,中身が見えてこない。技術が複雑化してきて,どのような仕組みでモノが動いているのかを簡単に理解できない。これらは技術の進歩のおかげであるが,理科系の教育にとっては大きなマイナス材料である。イメージしか見えず,技術の中身が受験生には掴めない。みんなユーザになってしまっている。そのため,(古い言い方であるが)フィーリングや自分の成績(特にセンター試験での成績)だけで進学する大学や学科を決めている学生が,大多数ではないのだろうか。実は,もっと問題なことは,いったい何を意味しているのかよくわからない大学の学科名が多いことにあるのだが,またこれは別の話になってしまう。

さて,英国では,サンタクロースがたくさんのプレゼントを子供たち(子供たちだけではなく,大人たちにも)もってきてくれる。そのため,英国の商店街では,11月中旬頃から大規模なクリスマスセールが繰り広げられ,街行く人々はたくさんのクリスマスプレゼントを買っていく。店には10ポンド(2000円)から20ポンド(4000円)くらいの比較的安い商品が山のように積んである。英国では普段,子供たちにおもちゃをあまり買い与えないので,クリスマスや誕生日のときにはその分,たくさんプレゼントするのだ,という話を聞いたことがあるが,それが本当かどうかはわからない。ご多分に洩れず,わが家の子供たちにもたくさんのクリスマスプレゼントが届いた。

10歳の長男のためのプレゼントの1つに,2石トランジスタラジオの組み立てキットが入っていた。

長男は喜んでいたが,結局,私が作ることになってしまった。コイルをトイレットペーパーの芯に巻くところから行わなければならず,10歳の子供にはちょっと複雑な作業だったからだ。コイルを正確に巻くだけで1時間以上もかかってしまった。しかし,子供は父親といっしょに作ることがとても楽しそうだった。抵抗値の読み方,コンデンサの極性,トランジスタの三本足,ダイオードの極性などを子供に簡単に教えた。私は,一応,大学の電気電子の先生なので,こんなものは簡単に製作できるだろうと高を括っていたが,結構大変な作業で,結局,2日間にわたって付き合うことになってしまった。一日目は英文の設計図をちゃんと読まず,自己流に作っていったので,恥ずかしいことにラジオが鳴らなかったのだった。そこで,二日目はしっかりと設計図に書かれている文章を英文解釈して,その通り,製作していった。作っているうちに,うちの電気電子工学科の1年生にも,コイルを巻いて,ラジオを作らせなければいけないなと思ったが,本当は電気電子に入学する前に,そのような体験をしてきてもらいたいとも思ったりもした。小さいときからものづくりに親しみ,そのようなことが好きな人に理科系に進んできてもらえるような仕組みを,どのようにしたら作れるのだろうか,とも思った。いつも思うだけで,的確な解決策が見つからないでいる。

2日目は慎重に組み立てていったので,006P の電池をつなげ,バリコン(可変コンデンサ)を調整したら,ラジオから音楽が聞こえてきた。息子にイヤホンを渡すと,彼は「この歌を知っているよ」,と答えた。イヤホンからはイーグルスのホテルカリフォルニアが流れていた。

数日後の大晦日,ロンドンの科学博物館 (National Museum) に家族で出かけた。私にとっては,近代的な制御工学における最初の制御ハードウェアである,James Watt の蒸気機関に組み込まれている governor (調速器)を見ることが主目的だったのだが,通信のコーナーにはトランジスタや抵抗をたくさん使用した電子回路が展示されていた。息子は嬉しそうに,「これはこのあいだ作ったラジオと同じだね」,と言った。

Watt の蒸気機関に組み込まれた governor (調速器)(ロンドンの科学博物館にて)