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『第二次大戦での電探(レーダ)開発の失敗に学ぶ』 廣田幸嗣
戦時中に海軍技術研究所では,当時の日本の最高の頭脳を集めた研究隣組を組織して電波兵器開発をした。当時のレーダの基幹部品は,八木アンテナ と 分割陽極マグネトロン であり,これらは日本人の発明だった。しかし,電探(レーダ)の開発競争で英米に負けた。電波兵器の開発失敗の原因を分析した戦後の資料によると,失敗の要因はつぎの3つに集約される。
(1) 上位者の定見なき指示命令
(2) 硬直的で小回りが効かない組織とマネジメント
(3) システム全体を見渡す人材の不足
これは,先日の福島原発に関する事故調査委員会報告で指摘された点と,本質が同じことに驚かされる。
レーダの回路設計をするためには,マグネトロンの発振機構を解明する必要があった。この研究を担当した朝永振一郎博士らはマグネトロンを量子力学の散乱に置き換えたモデルを作ったが,回路設計者には難しくて理解できなかった。当時の関係者は,レーダの開発がいつの間にか学術研究に変質していたと回顧している
アメリカでも,国力を挙げ電波兵器の開発を進めるため,MIT に Radiation Lab. が設立された。ここではマグネトロンを簡単な電気回路(負性抵抗と共振回路)に置き換えたモデルを作った。これは回路設計者に歓迎され開発を促進した。
いま,電子制御システムの分野では,モデルベースが流行である。しかし良いモデルがなければ良いシステムが作れない。良いモデルとは,プロジェクトを成功に導くモデルである。本質をついて,かつ専門が異なる多くのメンバーにも理解できるスリムなモデルを作るには,資質と経験を有する視野の広いキーマンが必須で,モデルベースだからうまくゆくとは限らないことに注意する必要がある。 (2012.08.30)
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【以下は,足立の追記です】
第二次大戦中に制御工学におけるサーボ機構の発展に最も寄与したのは,MIT の二つの研究所であるサーボ機構研究所(MIT Servomechanisms Laboratory)と放射研究所(MIT Radiation Laboratory)でした。
サーボ機構研究所では,現在の制御工学では当たり前になっている
といったさまざまな制御理論が提案されました。
一方,放射研究所では,主に自動追従レーダシステムの設計が行われました。この成果をまとめた ” Theory of Servomechanism ” by H.M.James, N.B Nichols and R.S.Phillips (1947) は制御工学の標準的なテキストになりました。この本は,MIT 放射線研究所シリーズ(全27巻)の25巻として発行されました。
(大須賀・足立:システム制御へのアプローチ(第8章),コロナ社(1999)より)