英国の小学校では7月に Year 6 の児童が卒業していく。そのため,6月末から7月23日の終業式までの学年末はイベントが目白押しで,児童たちは勉強より,その準備に忙しい。

我が家の子供たちの小学校で行われたイベントのうち,主なものを拾い上げてみよう。

まず,6月最終週に sports morning が学年ごとに違う日に行われた。これは日本の運動会とは違い,低学年ではお遊戯と体育の中間のような発表会を行い,高学年は体力測定を行った。当然だが,低学年ほど多数の父兄が参加していた。

つぎに,7月4日には,長男のクラス (Year 5/6) の class assembly が開かれた。長男は Year 5だが,彼のホームルームは Year 5 と Year 6 の児童から構成されている。この小学校には,このような Year 5/6 のクラスが3つある。なぜこのようなクラス編成になっているのか最初はよくわからなかったが,上級生が下級生の面倒を自然と見るようなシステムになっている。そして,それぞれの子供たちの能力や背景,そして必要に応じて,算数などの科目では子供たちは別々の教室で授業を受ける。

Assembly とは聞きなれない言葉だったが,クラス集会という意味で,クラスで創作した劇を全校児童と父兄の前で発表するものだった。7月18日には長女のクラス(reception)の concert が開かれた。これは音楽発表会で,5歳児たちのかわいらしいコンサートだった。子供たちは ABC の歌や,幸せなら手をたたこう,など日本でもなじみ深い歌を歌った。さらに,7月21日の昼は Year 5/6 のお別れ遠足(といっても近所の Jesus Green という公園へ行って一日中遊ぶだけ)で,夜は小学校でDisco party が行われた。

その中でも最大のイベントは,7月16日の夜に行われた “Year 5/6 production” だった。この晩はYear 5/6 の父兄が招待されたので,われわれ夫婦もいそいそと出かけて行った。Production という言葉の意味も最初はわからなかったが,これは上演劇という意味で,日本の学芸会(最近は使われないかもしれないが)のようなものと思えばよい。演じられた production は,約45名の Year 6 の児童全員と Year 5 の一部の児童が出演したミュージカルだった。“School Daze” というタイトルで,1時間にも及ぶ大作であった。内容は,今から 65年後の 2068年におじいさんとおばあさんになっている Year 6 の子供が,自分たちの孫たちに,小学校時代のことを思い出して話すというものであった。

子供たちは毎日のように production の練習をし,数回にわたって下級生の前で演じてきたので,本番では見事な演技をした。きちんとした台本が用意されているのだが,一人一人の子供たちの個性が生かされているように感じた。また,効果的に挿入される音楽(合唱)もよかった。決して先生という大人たちにやらされているのではなく,自分たちの意思で楽しくいきいきと演じていた。特に,主役の子供たちの演技は素晴らしかった。ハリーポッター役のダニエル・ラドクリフ君やハーマイオニー役のエマ・ワトソンちゃんも小学校でこんなことをやってきたのだろうなと思った。日本だったら主役の子供を選ぶだけでもひともんちゃく起きるだろうな,挙句の果てには,主役を選ぶことは特定の子供をひいきしていることになるので,学芸会はやめましょうとなるのではないかなとも思った。そんなことはないことを祈りたいが...

悲しかったことは,小学生の英語ですらよく理解できず,ストーリーの展開を完全に追えなかったことである。英国人は English joke を言わずにはいられないようだが,子供たちのセリフの中にも必ず観客を笑わせるものが入っていた。残念ながらジョークもよくわからなかったが。

Year 6 の児童にとっては,この production は小学校生活の総決算であり,また児童の父兄にとっては自分の子供の小学校での成長ぶりをみる最後のチャンスだったので,その晩の会場は異様に盛り上がっていた。約1時間の演技の終了後,拍手は鳴り止まなかった。すかさず,校長が最後の曲のアンコールを促した。そして,その曲にあわせてカーテンコールが行われた。それぞれの役名の子供たちが順番に舞台に上がり,拍手の中,挨拶(おじぎ)をしていった。最初に呼ばれた子は,主役の子供たちではなく,音響効果の子供だった。彼は,舞台の進行に合わせて,伴奏の入ったオーディオ装置を操作していたのだ。裏方の子供を最初に舞台に上げる先生の演出に感心した。

もっとよかったことは,自分たちの仲間を拍手や声援で「ほめる」(applaud (動詞),applause (名詞))習慣が子供たちの身についていることだった。大人が子供をほめることは当たり前だが,子供が子供同士をほめあう所がよい。日本ではこのような教育はされているのだろうか? Year 5 の長男にはたまたま役がついたため,カーテンコールで友達たちといっしょに舞台に上がり,拍手喝采を浴びた。彼はとても興奮し,また舞台に立ちたいと言っていた。日本の小学校では経験したことがなかったことだったからだろう。

たぶん日本人の大多数はほめることが苦手なのだろう。「ほめ殺し」という言葉があるくらいだ。この言葉には,ほめることは善ではなく,悪であるという屈折した認識がある。特に,自分の仲間をほめることが苦手だ。日本人は “shy” だからなのだろう,あるいは近親憎悪の気持ちが働くのだろうか,よくわからない。最近,大学の評価で「同僚評価」というものがあるが,ほめるべき所はほめ,けなすべき所はけなせるような,公平な評価をしなければいけない。

この小学校では,日本のような形式ばった卒業式は行われなかったようである。Production がその役目を十分に果たしていた。